習慣化の力
有名な「7つの習慣」をはじめ、習慣に関する本は非常にたくさん出版されていますわね。
「習慣の力」って言い方を変えると「慣性の力」ともいえるよね。「惰性の力」でもいいかも。続けて習慣になりさえすれば、意思や根性とは別の次元で継続できてしまうといった感じ。「朝に歯を磨く」とか、「駅までの道を無意識に歩く」とか、「毎日必ず発信する」とか。
今、自分でも「うまくいってるやん」と感じている習慣ベスト3は、
1.朝、朝食前に10分から15分間、英語を、意味を考えながら聴くまたはシャドーイング(リピートして自分で発声)する習慣
2.夜、湯上りにビールや発泡酒を飲む代わりに食用酢の炭酸割りを飲む習慣
3.休日の朝には、60分間程度、必ず散歩をする習慣(ついでに写真撮影)
今、自分が身に付けたいと考えている習慣は、
1.物事を深く考える習慣(この歳になって、何をいまさら、、、)
2.いらなくなったものを気軽にメルカリにエントリーしてしまう習慣
3.ちょっといいなと思った写真を撮ったら気軽にPIXTAに登録してしまう習慣
4.嫌なことがあっても明るい気持ちでいられる習慣
(ってこれは習慣ではないか、、、)
そして何と言っても
5.「定期的にブログを書く習慣」。
どうすれば習慣になるのだろう?
書く時間を決める。
ネタ思いついたら内容をあらかじめ録音しておく。
ところで目的は?
いったい何のためにブログを書くの?
自分の考えや気持ちを整理するため。
将来、その中のいいところを集めて本を出版し印税をかせぐため。
60歳から70歳の黄金の10年を過ごす人々に少しでも役に立つ情報を発信するため、、、、
おっと、大きくでましたね。もっと深く考えなはれ。と自分に言い聞かせてみる。
PHOTOM@黄金の10年間サポーター
ながら戦術研究の話 その2
ずいぶんと時間がたってしまった。ついに2月は1度もブログ更新をしなかった。3月もそろそろ終わりかけている。時間が過ぎるのは本当に速い。年を取るごとに加速度的に速くなっているような気がするのは自分だけだろうか。
さて「ながら戦術研究」の第2位の話をするんだった。
それは、やはり朝である。自分はいま朝起きると、トイレ行って、顔洗って、うがいして、体重と体温と血圧を計測してから、英語(今は、ある教材Voice of Americaの放送)を10分から15分聞くことを習慣化している。1テーマにつき1周目は約5回づつ聞いた。今は2周目で約3回づつ聞いている。
そしてここからがながら戦術なのであるが、
自分は英語を聞き意味を考えながら、あるいはシャドーイングで発声しながら、
着替え、肩と腰にバンテリンを塗り、足にデオロラントスプレーしつつ、持ち物(ハンカチ、パスケース、スマホ、メモ、ホッカイロ等)を用意するのである。
以上が第2位である。
そして輝くながら戦術の第1位は、、、、、
朝食後、トイレと同時に、電気シェーバーでひげを剃ることである。
最近では、パブロフの犬よろしく、髭を剃り始めると、もよおしてくるまでになっている。ちょっとお下品ですいません。
いっそのこと、脱毛した方が良いのではという考えも頭をよぎりつつ、、、
痛くないのかしら?あれは。
PHOTOM@ながら戦術研究家
ながら戦術研究の話 その1
時間はとても大切。人生=時間。
というわけで、少しでも時間を大切に有効に使うテクニックを研究することは、人生を有意義に過ごすために非常に役に立つことと言える。
単純に思いつくのは、マルチタスクである。
コンピュータでの並行演算?要するに、一度に2つ以上のことを同時に行う。
お風呂を沸かそうと風呂桶に水を入れるなら、水がいっぱいにたまるまで、じーっとその様子を伺い他のことを一切しないシングルタスクではなく、
①お風呂に水をいれながら、
②やかんでお茶を飲むためのお湯を沸かし、なおかつ
③掃除機をかけお部屋をきれいにしながら
④歌を歌いかつ同時に
⑤踵の上げ下げを行って筋肉も鍛える
といった感じ。
てなわけで、歩きながらスマホを見る、、、は危険なのでやめた方が良いけれど、危険が伴わないことで、マルチタスクを狙うのがよかろうと思うわけである。
そこで今日は、自分のマルチタスク化が成功(と自分では思っている)しているベスト3を紹介しましょう。
その第3位とは、まあ誰でもやっていることかもしれないけれど、
通勤時間を利用して、電車に乗っている間にスマホから移動しながらの情報収集を行うことである。
内容は、いろんなニュースでも、得意のVoicyの音声配信でも、YouTube動画でも、TVerでのアニメやドラマでも、それこそ何でもありである。
長距離通勤歴10年を超える自分には、勤務日の往復3時間は電車に乗っている。
すんごい情報量である。
ひとつ危険な要素があるとすれば、スマホに夢中になりすぎて乗り過ごす危険性があることである。
そこで自分は、毎日同じ時間の電車に乗り、乗り換え時間ごと(降りるタイミング3回と乗るタイミング1回の計4回)にスマホのタイマーをセットしている。これを始めてから乗り過ごした失敗は、いまのところ一度もない。
ちょっと長くなってしまったので、第2位、第1位はまた別の機会にしましょう。他の人々のながら戦術の工夫も聞いてみたい気がする今日この頃でありました。
PHOTOM@ながら戦術研究家
言葉の定義の話
言葉は生き物である。
だから言葉の定義は不変のものではなく、変化する。
まさに万物は流転するの範疇にあると思う。
多くのコミュニケーションにおいて差異が生じる原因の多くに、
この言葉の定義の問題があると思う。
双方の言葉に対する定義や印象の違いにより、
おおむね考えている内容が似通っていたとしても、
話が通じていない現象が生じることが多々ある。
したがって、伝えたい内容が伝わっていないあるいはズレていると感じた場合の対処法としては、一度お互いの使用している言葉の定義を確認することが重要である。
一方で、「言わないでもわかるでしょ!!」という話は、難しい。
世の中には「言わないでもわかる」こともあれば、
「言わなきゃわからない」こともあるというのが真実だと、私は思う。
より伝えたい気持ちが大きい場合は、
慎重に言葉の定義をすり合わせ、
出来るだけ言語化する努力を怠ってはいけない。
でしょ?
PHOTOM@言葉にこだわる
厳しさは人を変える、、、かも
自分は一応管理職である。しかし、自分の部下に対して厳しく言うことが苦手である。
自分の主張は以下の通りである。
「相手は一応大人だし、冷静に理解しやすく話せば通じるはずだ。」
こちらが変に不機嫌を装って、
つまりは、怒ったように伝えたって、反感を買うだけで、
嫌々ながら従ってもらっても、そんな仕事は楽しくないだろう。
だから、自分は言うべきことは言うが、怒りをこめて伝えるようなことはしない。
怒って余計なエネルギーを使うのも疲れるだけである。人はそうそう変わらない。
ところがである。木村拓哉主演のドラマ「教場」を見た。
警察学校の話である。
木村拓哉演じる教官は非常に、非常に、非常に、厳しく、自分の生徒たちを指導する。
生徒たちの本音を赤裸々にし、過ちを認めさせ、退校用紙を手渡す。
そこには、中途半端に卒業させて、危険な目に遭わせたくないという深い愛情がある。
その結果、生徒たちは見事に力強く成長する。
過ちは見事に人を変え、人を一段と強くする。
ただ、理解しやすく伝えるだけでは、人は変わらない。
でも怒りにまかせ、上から目線で物をいっても反感を買うだけとも思うことも事実。
徹底して指導するには、自分も腹をくくり、熱い愛情で部下を指導しなればならない。
PHOTOM@自分にも他人にも甘い
人生の目的・・・AGTS
2021年がスタートした。ブログで書きたいネタがなかったわけではないが、結果的に2020年12月は1度も書かなかった。そしたら、はてなブログから催促(?)が来た。
なんと親切な組織だろうと思った。
定年間近なふぁとむではあるが、一応2021年も会社員継続の予定である。
したがって自由になる時間はそれほど多くはない。ん。本当にそうか?
実は、これまでの社会人生活は、仕事とある趣味でほとんどの時間を費やしてきた。
ある趣味についてはまた別途記述するとして、昨年からのコロナウィルス感染拡大防止の影響で、それらの趣味の方はほとんどストップ状態になった。
その結果、結構自由な時間ができた。
「あらま。趣味やってなかったら、結構時間があったのね。」と感じた。
じゃあどうして12月にブログが進まなかったのか?
実は本業の仕事の方で、異動の内示があったのである。
今の仕事を次の人間に引き継ぎ、新しい職場の仕事を前の人間から引き継ぎしいの、関係各所に挨拶しいのとやっているうちに、なんとなく時間がなくなっていたのである。
(このなんとなくが非常に怖いことであるが。)
そしてこの年末年始、本当にひさびさに6連休となった。
これまでの職場の施設では、なかなか連続した休みがとれてなかったのである。
そして久々に自分の人生を考えた。
まあ当然ながら、結論みたいなものは、ないのであるが、
でも、人生100年の時代。
これから充実していきたいと改めて思った。
改めて、人生の目的を決めた。ありきたりであるが、
「明るく元気で楽しい幸せな人生を送る」である。
略してAGTS。A(明るく)G(元気に)T(楽しく)S(幸せな)。
そのために何を目標にして、なにを実行していくのか。
今こそ、ちゃんと自分を見失わずに、常に自分の状況を考えながら、
一つ一つ確実に実行していく時である。
2021年。実にきりの良い数字である。
肩の力を抜きつつ、かつ本質的なところ確実に、そして継続して挑戦すると。
PHOTOM@今年も挑戦!!
「自」と「他」の境界~「ブッダとは誰か」を読んで~
自分はとある大学で「ブッダ」に関する科目を受講している。
今回レポートの提出があり、文章を作成したので、
ここのブログにも転記しておくことにする。
話が「ブッダ」に関することなので、
今回のネタは多少は宗教がかっているかもしれない。
① はじめに
このレポートでは、「ブッダとは誰か」を読み、特に、悟りを開くまでの釈迦牟尼の行動から学び、考えたことについてまとめたい。そしてその中から、自分のこれからの人生にとって有用な知恵を拝借できればと考えている。
人間は言葉を持ち、ものを考えることができる。また人間は文字を持ち、考えたことを時間や空間を超えて他に伝えることが出来る。そして人間は他の考えを吸収し、自分なりに加工・応用して、進化することができる。文化・文明を発展させることもできる。人口減少だの、自然破壊だの、さまざまな問題は、発生し続けると予想できるが、ある部分は人類の叡智を持って解決していくことも可能であろう。また、滅びることが必然であったならば、それもまた、一つの道だったのだろうと考えることも出来るのかもしれない。
② 問題の所在・・・自分の生き方の課題
人間は、いろいろなことを考えることが出来るがゆえに、生老病死に不安になったり、将来のことを思い悩んだりする生き物のようである。せっかく大昔にブッダという方が存在し、さまざまな生きるヒントを残してくれているのなら、それをこの世ではただ1回である(輪廻を考えなければではあるが)自分の生き方の参考とし、より良い人生を歩むための一助とすることは非常に価値があることである。
自分の今までの人生は、勉強や仕事や趣味等でその時、その時がそれぞれ忙しく、あまり立ち止まって自分を振り返るような機会がなかったような気がする。大きな病気等があれば、その時に振り替える機会もあったのであろうが、あまりそんな機会はなかった。
今回、新型コロナウィルス感染が広まって、不要不急の外出が制限されたり、テレワークが推奨されたり、また死が今まで以上に身近に感じられたがために、自分の人生を見つめ直す機会を得た人も多かったのではないだろうか。実際問題、「人生100年時代の今、これからどのように生きていくのがよろしいのか?」そこが自分にとっても大きな課題の一つであることは間違いない。
③ ブッダの教えから
ブッダは、貴族としてカピウラヴァッツの城にいた時は非常に贅沢な暮らしをし、逆に城を出てウルヴェーラーの森で6年間の苦行の実践をするという、いわば両極端な体験を経て、悟りの境地に達し、自分のやるべきことを見いだしたということだと思う。
城にいたときには、父親の後を継いで「国をどうマネジメントしていくか?」と、隣国との関係等も含め、考えることも多かったように思う。また、苦行実践中は、「本当にこんなことだけしてどんな意味があるのだろう?」と考えたに違いない。
そんな中から、すべての人は階級など関係なく平等であり、それどころかすべての生き物が、結局はある意味ひとつであるというところにたどり着いたのではないかと思う。
「自」と「他」に境界はなく、つまり自分のためも他のためも同じことであるという境地に達したのだと思われる。
今回手塚治虫先生の「ブッダ」も改めて読み返してみた。ブッダが悟る場面で以下のようなセリフがある。「木や草や山や川がそこにあるように、人間もこの自然の中にあるからにはちゃんと意味があって生きているのだ。あらゆるものとつながりを持って、そのつながりの中で大事な役目をしている」(講談社:手塚治虫漫画全集8巻p.49)
④ まとめ
生老病死について、ただ不安に思うのではなく、また生老病死から逃げるのではなく、ただ自分と人にとって大事と考えられることを実行することが大切なのではないかと思うようになった。
自分のしていることが自分にとって本当に大事なことなのか?それは人にとって大事なことなのか?について、常に考えながら生きていくことが必要なのではないかと考えると、つまらない悩みなどで時間を無駄にすることもなく、自分の役目を果たすことに時間をついやすことが、死ぬ時にも本当に後悔の少ない人生につながるのではないかと考えるようになったことは大きな収穫の一つである。
PHOTOM@すべての生き物がある意味一つ